優しさと厳しさ|臨床工学技士・看護師の先生の言葉から

優しさって何だろうって考えるっことってありませんか?

病院に勤めているんですが患者様の対応をしていているときにふと思い出すこと言葉があります。

 

「車いすを押してあげることが本当の優しさなのか?」

 

専門学校で勉強していた時の先生(臨床工学技士・看護師の経験あり)が言っていた言葉です。

その先生は割と体育会系なノリで授業を進める先生だったんですが、時々はっとさせられるようなことを言うんです。自分の中ではこの言葉が一番印象に残っていて「単純に考えるだけじゃだめなんだよなー」なんて思ったり…

聞いた直後は「何を言ってるんだ?」って感じだったのですが、説明を聞いたら頷かざるを得ない…


※詳細を覚えているわけではないので、若干ニュアンスが違うかもしれませんが自分なりの理解で書いていきます。

車いすを押してあげることは一般的に見たら優しいことなのかもしれないし、車いすを押してもらっている人自身も押してくれている人に優しさを感じているだろう。一見するといいことじゃないかって思うだろうが実際は違う。車椅子を自分でこぐことができるならそれを手伝ってしまうこと残酷なことなのだという。

結果的に自分でできることを奪っていくことになってしまうのだと。自分で移動できる手段・道具を持つことができたのにその自由さえ奪ってしまうのか?

「自分の力で移動できるためのツールなのにそれまで奪ってどうする?」みたいな言い方だった気がします。何も言葉が出ない… 自分が愚かにさえ感じました。

医療職ならではのたとえ話だったのかもしれませんが衝撃を受けた出来事でした。

実際に病院で働いて、患者様への対応に関して考えさせられる部分でもあります。実際のエピソードも書いてみます。

透析を始めて二年ほどの患者様です。年齢は60歳~70歳だったかと。
ある日の透析後のことでした。帰ろうとしたところふらついて倒れそうになってしまいました。
幸い近くにいたスタッフが支えることができたため、怪我もなく帰ることができたました。
次回以降の透析後もふらつくと心配だからとスタッフ側も決めつけてしまう。患者様自身もふらつきが怖いという思いと
歩くのは疲れるから車いすのほうが楽といった思いがあるように見えました

ほどなくしてその患者様は移動のほとんどに車いすを利用するようになってしまいました。
もともと歩く機会も自宅から病院の往復と買い物くらいだったと思います。
移動に車いすを使うようになってから脚の筋肉もみるみる落ちてしまい、恐らく普通に歩くのは困難ではないかと思います。
何もしないというわけにはいかないにしても杖を使うとか手をつないで歩いてあげるとかできたはずなのに...

参考URL : 通院血液透析患者の生活パターン

 

仕事でもプライベートな関係でも同じようなことが言えるんじゃないかと思うのです。

相手に真意が伝わらなかったとしても本当の意味で相手のことを考え行動できたのなら結果はついてくるでしょうし、感謝はされなくても自分はいい気持ちでいられそうな気が… 自己満足って言われそうですが(笑)

 

以上、個人的に好きだった先生の言葉でした!

 

※余談ですが、自分の上司も先生と同じような考え方で実際に行動しており尊敬しています!自分達のこと考えてくれているの分かってはいるんですけど怖いんですよねー( ;∀;)

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